2023年5月、新型コロナウイルスの感染症法上の分類が5類へと移行された。これにより、行動制限や水際対策が撤廃されたことで、現在では旅行需要の回復が鮮明となってきている。特にインバウンドにおいては、日本政府観光局によると2023年8月の訪日外客数は215万人を超えた。これは2019年同月比85.6%であり、新型コロナウイルス感染症の感染拡大以降、初めて2019年同月比が80%を上回ったとしている。2023年はインバウンドが右肩上がりに増加しており、観光産業にとって大きな追い風となっている。
しかし、観光産業は人手不足に悩まされている。特に宿泊業の中には需要が回復しても人手不足により客室やレストランの稼働を制限している企業が存在する。宿泊業は新型コロナウイルス感染拡大以降、需要が消失し、多くの企業が事業存続のために給与の一時減額や一時金の不支給を断行した。その結果、多くの労働者が生活に対する不安や外部環境に左右される産業の将来性に対する不安を抱き、次々とこの産業を去ってしまった。しかし、現在は需要が大きく回復したため、需要に対し、労働力が追い付いていないことで人手不足が引き起こされている。宿泊業はコロナ禍前においても人手不足と言われていた。当時はインバウンド増加を見越し、ホテルの開業が相次いだものの、必要な労働力に対して人材獲得が追い付かず、人手不足を既存の労働者で補っていた。
現在の人手不足は産業の将来性に対する不安感によって、産業から人材が流出したことだけが要因だろうか。外部環境に左右される産業は宿泊業だけではない。真の要因はコロナ禍前より課題となっていた賃金を中心とする労働条件にあるといえるのではないだろうか。宿泊業は長時間労働が慢性化し、人手不足を労働者のマンパワーでカバーする傾向がある。労働者は「お客様が喜んでいる姿が自分の喜び」「お客様に感動を与えることが仕事のやりがい」といったことに賃金以上の価値を見出し、それを働きがいとしてきた。しかし、これは企業が労働者のやりがいに依存した労働者に対するやりがい搾取だといえる。このままではやりがいよりも好待遇の労働条件を求め、この産業から労働者がさらに流出してしまいかねない。企業は労働者に最高級のサービスを求め、労働者はやりがいによってそれを実現し、賃金を中心とした労働条件の改善は二の次という、労働者のやりがいに依存した経営はもはや限界だと言わざるを得ない。
宿泊業ではこれまでよりも賃金を大幅に上げて求人を出したのに応募がないという話をよく聞く。経営者はこれまでの賃金と比較して大幅に高い水準にしたと胸を張っていたのかもしれない。しかし、本質は「この賃金水準でも集まらない」ではなく「この賃金水準では集まらない」であることを経営者は認識すべきだ。
2023年3月31日に発表された『観光立国推進基本計画』の中で観光の質的向上が謳われている。そのひとつが「消費額拡大」だ。宿泊業はサービスの向上によって付加価値を生み出し、それに見合った利益を得ることが必要だ。ラグジュアリーホテルでは施設や設備はもちろん、最高級のサービスをお客様に提供することが求められる。一方、価格訴求型のホテルではテクノロジーを活用することで人間にしかできないサービスに人材を集中的に配置していくことが求められる。宿泊業はそれぞれのホテルのコンセプトに応じたサービスの提供し、付加価値を生み出していくことが重要だ。
インバウンドは滞在日数が長く、消費額が多いといわれている。国は都市部だけでなく、地方へインバウンドを誘客し、地方における消費額拡大にも力を入れている。人の移動が増加すれば、多くの宿泊需要が生まれる可能性がある。宿泊業にとって業績向上のためには逃してはならない機会であり、そこに付加価値を生み出せば、企業のさらなる利益につながる。そのために企業が最初に取り組むべきことは労働者の賃上げだ。その理由は、付加価値を生み出し、企業に利益をもたらす役割は労働者が担っているからだ。企業はまず労働者の賃金を向上させ、その労働者がホテルのコンセプトに見合ったサービスを提供することで付加価値を生み、企業に利益をもたらすことでさらなる賃上げにつなげる循環を作り出すことが重要だ。人手不足の今だからこそ、宿泊業の経営者はコロナ禍前から目を背けてきた労働条件の向上に真正面から取り組み、覚悟をもって賃上げを行うことが必要だ。
日経電子版 2023年9月11日
沖縄のホテル受け入れ可能客数、19年比で月10万人減
沖縄振興開発金融公庫は11日、県内のホテルや旅館などで深刻化する人手不足が施設の稼働に与える影響をまとめた。足元の受け入れ可能な客数の推計は月間のべ261万人で、新型コロナウイルス禍前の2019年の月平均のべ宿泊客数274万人を10万人ほど下回った。インバウンド(訪日外国人)を含む旅行需要の回復が鮮明となる中、宿泊施設の人手不足は機会損失につながりかねない。
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